この世界を心地よく感じよい空間、楽園にしたくて。
どうすれば良いかを、大好きな美しい海から、
常識の外から、陸上社会を素直に見続けてきました。
答えは眺めていた美しい海にありました。
何故、その美しい海が大好きなのか?
ここに心地よさ、感じよさの創造の源があったのです。

背景

背景

海から陸上をしっかり見渡していたら、どうしたの?というくらい、子どもからお年寄りまでみんな不安顔、不信顔。確かに、あふれる情報はそんな顔を作り出すものだらけ。
異常な自然災害の連続、感染病、詐欺、誹謗中傷 子どもたちのあらゆる疾患、大人も子どもも小さな画面と向き合って、周りの人と楽しむことを忘れたよう。
未だに戦争も止まらない、止められない。環境破壊も止まらない、止められない。
本当に、人も社会も健やかな感じがしない。
 
この世界の状態は、今の社会の価値、仕組み、進め方をしてきた結果の現れです。
もちろん、素敵なこと、美しいもの、良いことも沢山あります。
しかし、そのバランスがかなり悪いのが現状です。
 
しかも、見かけ立派でも私たちの社会が陸上の営みで生み出した汚れを、全て海に流し込み続けています。これは、私たちを産みだした母親にどこまでも甘えて問題を押し付けている半人前のやっていること。そんな社会とも見てとれます。
そのうえ、全体のバランスはまだまだ悪化の方向へと強く進んでいます。
 
だからといって今の社会をすべて否定できるのか?
私の場合、自分自身がその社会のおかげで素晴らしい経験をたくさんしてきました。
だから否定はできないし、否定だけでは何も生まれないし変わることはできません。
逆に、否定したり誰かを非難したり、足の引っ張り合いにつながるだけです。
 
それぞれがいろんな歴史、立場、思いが折り重なって積み上げてきたこと。
否定や非難が生み出すのは、怒り、争いです。それではより楽園から遠のくだけです。
 
これが 美しい海から見た今の陸上の社会のありようです。

必要なのは、重要なのは

必要なのは、重要なのは

心地よく、感じの良い空間、楽園を望むならば。
今の社会の価値を大切にしたい人も今の社会の在り方に反対の人も問題を解決したい人も無関心な人も含めて、どんな立場の人であっても「それならいいよね」と納得しあえる新たな世界への移行を創造することです。
この創造ができないならば、この世界、人類に明るい未来はないでしょう。
 
その創造に必要なのは、どんな立場の人でも見落とすことなくつなげられる価値です。
「それは私にも関係ある」から「それならばそちらのほうが良い」と、支持できる、
どんな人にも共通する価値、どんな人とも共有できる価値。
この創造の土台となるものが重要です。

海という土台

海という土台、万人共通の価値・原点

海は、これまでの価値、仕組み、進め方、常識を超えて行けるかけがえのない存在です。
 
すべての生命を生かす。それは、すべての命に価値を生み出すとも言える海。
すべての生命を生かす。それは、すべての命を生かす仕組みとも言える海
すべての生命を生かす。それは、すべての命の進み方の見本とも言える海
 
どのような価値観でも文化でも違った立場の人でも、納得につなげられる価値、人間が作り上げた常識の歴史の比ではない太古から作り上げられている良識がすでにあります。
 
大きくバランスを崩している今、
この「海」という万人共通の価値に、原点に気づく時です。
 
納得を生み出す土台、その源が海にあります。

水の惑星の楽校

だから、私たちの星、水の惑星を楽園にする物語を創造してゆく人を育てる

水の惑星の楽校をつくりたい

 
水の惑星という言葉を私たちは使います。
その水の意味するところのほとんどは海です。
では、その「海」の事を私たちは、私たちの社会は知っているでしょうか?
 
原点海帰。
原点に海帰し、知ることから始まります。
 
海が何を私たちに提供してくれているかを知ること知覚すること。
 
知らずに創造は生まれません。

育てたい人物像

育てたい人物像

命題  人が自らの命、そして自らの人生を愛せるようになること。
水の惑星に生きることを愛する人を育てること。
 
海はその人の社会的条件など全く関係なく、
あらゆる人に、心地よさ健やかさ命の輝かせ方の元を提供してくれます。
つまり、自らの命を愛する基本に気づかせてくれます。
これがこの星を楽園にする全ての基本だと思ってきました。
 
今の世界で起こっているあらゆる諍い、妬み、恨み、キリのない争い、破壊。
これらは全て自らの命、人生を楽しめていない、愛せていない人から起こる現象です。
 
自らの命、人生を愛し、生きることの楽しみを深め、生命の輝きを沢山知ること。
生命の輝き、有り様を熟知できる源を持つこと。
 
これまでを否定することなどなく、輝きを基に素直に思考行動できる。
これが、私の作り上げたい「水の惑星の楽校」で育てたい人物像です。

水の惑星の楽校の根本の核

私が経験してきたことが、水の惑星の楽校の根本の核となっています。

 
この惑星の7割が海であることも、私たち自らの身体の7割が水でできていることも、その体液の成分と海水の成分の近似値の「由縁」のことも、そして、その水、体液の状態の大切さの事など、今の社会・世界はこの基礎となる海・水との関係の気づきと学びを持ち合わせていません。
 
私は、自らが時間をかけて歩んだ海・水との関係から得た感覚値、視点、そこからの思考に至る経緯、経験を元に、水の状態、質に立脚した人財育成、その方策をまとめあげました。
 
ここが理解できると、人は生き方が変わりだします。水を愛することと自らを愛することが同意であると知覚でき「軸」が育ち始めます。これらは、知識のことではなく、身体知のことです。
 
他の人の考えではなく自らの体が得ている情報を基にするものです。
人間社会の歴史で創り上げた価値や評価を手に入れ幸せになれると思考行動するのではなく。
生命の歴史で既に手に入れている自らの命が喜び輝く状態の知覚を基にする。
この命の情報を素直に手に入れるのに、海・水がいかに大きくかかわっているかを知ること。
 
自らを信じる、自らを愛するその基礎。今の常識に囚われない新たな世界を創り出す思考・哲学の原点となるものです。
 
この育成方法が、社会に、世界に、容易に手に入るようになるならば、この水の惑星の生き物にとっての楽園創造の土台になると確信に至ったのです。
水と自らに意識的に生きだすと、周りの水の質、自然も、他者も社会もその質の大切さに気づきだします。
 
そして、この水への知覚による理解は、あらゆる分断している人同士をつなぐ土台にもなります。
 
楽園は、楽園を知覚した人ならば作ることができる。   
これは私の持論です。
 
水の惑星に生きることの喜びを学んだ人々が、社会活動、創造活動をしていくと。
この水の惑星に生きる全ての生命が光り輝いてゆく。
この物語を一人でも多くの人々と共有してゆく=楽園
 

宗教以前

宗教以前 経済以前 科学以前

宗教なのか?と思われる方がいるでしょう。「ならば駄目だ!」と判断される前に知ってください。私のやりたいことは、宗教以前のことです。先の文章でも書きだしたように、私の考え、誰かが考えたことを押し付けて教育したいわけではないのです。
 
その人が、その人自身の中にある命の情報に気付いてもらうこと。母なる海で 水の惑星に生きていること。自らも水でできていること。それを生かす情報、身体が生きようとする情報に触れる。そして、身体が健やかな状態の情報をそれぞれがしっかりつかみ取り、生命はどうすれば健やかにいられるのかを知る術をアシストしたいのです。これが行いたいことのすべての中心です。
 
これがあらゆる問題を生み出し解決できないまま進む今の常識に代わり、変えてゆく思考行動の軸になると確信しています。 
私自身は、宗教以前、経済以前、科学以前、個人の価値観以前に必要なことだと考えてきました。 
例えば、なぜ宗教が否定される存在になるのか。なぜそうなるのか?からそこに留まらず。その先に進む。
何かを否定し、非難しあう思考を解いてく創造の元を手に入れる。
そうすることで、それぞれがそれぞれの有様を進化させてゆく。
素直さ、かつ、おおらかさを手に入れるアシストだと思い描いています。

自然回帰の歴史がこの国に

人の育て方、原点に触れ知る自然回帰の歴史、前例がこの国にあります。

世界各地の異常気象が警告を発しているように、人類の活動が地球環境に多大で破壊的な影響を与えている。いえ、自分たちの存続に大きな影響を起こしています。この時代において、日本という地で営まれてきた人と自然との関係のあり方から、人類が学ぶものがあります。
 
例えば、都と紀伊山地の霊場を結ぶ熊野詣・古道のようなものを1000年も続けています。その目的は、自然回帰・自然学習の必要性を社会として当時の運営者、知識人達が熟知していたという事だと認識します。自然と社会、自然と人間の関係において、忘れてはならないこと。自然の土台の上に人の営みがあること。しかもそれは、知識だけではなく、身体知として、人々が共有すること。それを王家から一般の庶民まで体験・体感を共有し、そこをベースに社会を共に創造し、社会を運営し続けることの大切さ。
このような意図・哲学があったのではないかと考えます。
 
今、この自然と共に暮らすという思考・哲学が根付くことの大切さを改めて社会として、世界として手に入れること。これまでの常識に頼っている場合ではない。素直に根本から見直す。そう判断する時ではないでしょうか。
 
そして、ここで大きな課題があります。それは、今、特に「自然」という表現を使われる時。その言葉が指している意味です。
 
私には、それがほとんどの場合、陸上の自然を中心に認識されていると見てきました。ここに、大きな盲点があり、逆に様々な現代社会が抱えた問題解決の糸口があると考えるのです。それが、「海」というこの惑星の7割をしめる存在を「自然」としてクローズアップさせること。
それは、この海を無視して進もうとすること自体に限界が来ていると見つづけてきたからです。
 
実際、現代社会は海と私たちの関係をほぼ何も知ることなく、その海に陸上が生み出すあらゆる負荷を押し付ける営み、形式を創り上げているのです。自然回帰、原点回帰を大切にした1000年前の時代とは比べものにならないほど、破壊力を手に入れた私たち現代社会・世界が、陸上だけでなく視野にいれなくてはならない大きな課題です。
 

自然は無限のデザインリソース

自然は無限のデザインリソース

自然界は利他性に満ちている。生物は利己的では生存、継承はできない。=福岡伸一
人の体は7割が水というけれど分子レベルでは99%が水=ツェンコバ ルミアナ

私が構想してきたものに、樂園学というものがあります。
「未来の社会が楽園になっているとするならば、その世界を作り上げるための知の世界が存在したはずだ」との夢から始まり。ご縁のあった、京都芸術大学の常任理事でご自身が「人にやさしい空間デザイン」で教鞭をとられていた大野木啓人先生に長年相談に乗っていただき、谷崎テトラさん、西村裕也さんの参加で立ち上げることができ稼働している樂園学会。

 
 
 
上の言葉は この学会にご参加いただいている「動的平衝」の提唱で大阪万博のメインパビリオン動的平衝館のプロデュースもされてる福岡先生の言葉。神戸大学で長年水の研究に従事されてきて「アクアフォトミクス」という独自の水の解析方法で世界に向けて学会活動もされているツェンコバ先生の言葉です。
福岡先生は次の言葉も使われています
自然は無限のデザインリソースである
 
これらが指し示すのは、水の惑星に生きることに気づき、学ぶことの大切さにつながっています。

気づき学ぶ仕組み

気づき、学ぶ仕組みが必要

必要なのは、創造する人、創造できる人を一人でも多く育てることです。
望む世界を創造するのは、望むことを沢山経験している人が創造すること。
当たり前にこれはとても重要なことです。
楽園は楽園を知覚した人ならば必ず再現できる。創造できます。
 
これまでの価値、仕組み、進め方、常識にとらわれることなく、
海との関係から知覚する情報、心地よい感じよいが思考行動の源として軸になり育つこと。
 
水の惑星の生命という共通の価値に根ざし、それぞれのその立場の高い、低い、狭い、広い、大きい、小さいに関係なく、それぞれの生きる領域、影響する領域の見直しをする。
私のように100%全力の人もいれば、1%5%10%からでもやれることから見直を始める人まで、具体的に創造へと活動ができる人を育てる。このような源に気づき学び、軸を身に付ける。
今の社会にないものです。だから生み出す必要があります。

事業として社会に成立

事業として社会に成立させることで広げたい

個人の思いから 組織化へ 
 
椚座 信が33年前 「この世界を楽園にしたい」という思いからはじまり、どうすれば具体化されるのかの模索から気が付いた「海に立ち返る」というアプローチ。この有用性の検証を積み重ねてきました。これを個人の領域を超えて社会に知ってもらい広げてゆけるように、「水の惑星の楽校」という形式にし、事業として起こしてゆくため 先ず「株式会社 楽」を20227月に設立。
ようやく本部の設置や 展開すべき事柄、初期の規模、初期にかかわっていただく人々のつながりなどが準備できてきました。
ここからは 水の惑星の楽校 設立稼働に向けて やらんとすることを知っていただき 体験していただき ご納得いただいて応援していただく活動を始めます。
これまでも長い道のりでしたが、これからも長い長い道のりです。
 
目指すのは自らを愛する人を育てる  
様々な経済分野や、社会活動家、様々な人材育成など資質向上にかかわるあらゆるところで私たちの「水の惑星の楽校」事業がつながり根付き、社会全体の根幹となれることです。

一人でも多くの方々に私たちの想いが届き、
この事業活動を知って、ご参画いただけることを願って止みません。

海から陸上をしっかり見渡していたら、どうしたの?というくらい、子どもからお年寄りまでみんな不安顔、不信顔。
確かに、あふれる情報はそんな顔を作り出すものだらけ。
異常な自然災害の連続、感染病、詐欺、誹謗中傷 子どもたちのあらゆる疾患、大人も子どもも小さな画面と向き合って、周りの人と楽しむことを忘れたよう。
未だに戦争も止まらない、止められない。環境破壊も止まらない、止められない。
本当に、人も社会も健やかな感じがしない。
 
この世界の状態は、今の社会の価値、仕組み、進め方をしてきた結果の現れです。
もちろん、素敵なこと、美しいもの、良いことも沢山あります。
しかし、そのバランスがかなり悪いのが現状です。
 
しかも、見かけ立派でも私たちの社会が陸上の営みで生み出した汚れを、全て海に流し込み続けています。
これは、私たちを産みだした母親にどこまでも甘えて問題を押し付けている半人前のやっていること。そんな社会とも見てとれます。
そのうえ、全体のバランスはまだまだ悪化の方向へと強く進んでいます。
 
だからといって今の社会をすべて否定できるのか?
 
私の場合、自分自身がその社会のおかげで素晴らしい経験をたくさんしてきました。
だから否定はできないし、否定だけでは何も生まれないし変わることはできません。
逆に、否定したり誰かを非難したり、足の引っ張り合いにつながるだけです。
 
それぞれがいろんな歴史、立場、思いが折り重なって積み上げてきたこと。
否定や非難が生み出すのは、怒り、争いです。それではより楽園から遠のくだけです。
 
これが 美しい海から見た今の陸上の社会のありようです

心地よく、感じの良い空間、楽園を望むならば。
今の社会の価値を大切にしたい人も今の社会の在り方に反対の人も問題を解決したい人も無関心な人も含めて、どんな立場の人であっても「それならいいよね」と納得しあえる新たな世界への移行を創造することです。
この創造ができないならば、この世界、人類に明るい未来はないでしょう。
 
その創造に必要なのは、どんな立場の人でも見落とすことなくつなげられる価値です。
「それは私にも関係ある」から「それならばそちらのほうが良い」と、支持できる、
どんな人にも共通する価値、どんな人とも共有できる価値。
この創造の土台となるものが重要です。
 

 

海は、これまでの価値、仕組み、進め方、常識を超えて行けるかけがえのない存在です。
 
すべての生命を生かす。それは、すべての命に価値を生み出すとも言える海。
すべての生命を生かす。それは、すべての命を生かす仕組みとも言える海
すべての生命を生かす。それは、すべての命の進み方の見本とも言える海
 
どのような価値観でも文化でも違った立場の人でも、納得につなげられる価値、人間が作り上げた常識の歴史の比ではない太古から作り上げられている良識がすでにあります。
 
大きくバランスを崩している今、
この「海」という万人共通の価値に、原点に気づく時です。
 
納得を生み出す土台、その源が海にあります。
 

 


 
だから、私たちの星、水の惑星を楽園にする物語を創造してゆく人を育てる楽校をつくりたいのです。
 
水の惑星という言葉を私たちは使います。
その水の意味するところのほとんどは海です。
では、その「海」の事を私たちは、私たちの社会は知っているでしょうか?
 
原点海帰。
原点に海帰し、知ることから始まります。
 
海が何を私たちに提供してくれているかを知ること知覚すること。
 
知らずに創造は生まれません。
 

 


命題 人が自らの命、そして自らの人生を愛せるようになること。
水の惑星に生きることを愛する人を育てること。
 
海はその人の社会的条件など全く関係なく、
あらゆる人に、心地よさ健やかさ命の輝かせ方の元を提供してくれます。
つまり、自らの命を愛する基本に気づかせてくれます。
これがこの星を楽園にする全ての基本だと思ってきました。
 
今の世界で起こっているあらゆる諍い、妬み、恨み、キリのない争い、破壊。
これらは全て自らの命、人生を楽しめていない、愛せていない人から起こる現象です。
 
自らの命、人生を愛し、生きることの楽しみを深め、生命の輝きを沢山知ること。
生命の輝き、有り様を熟知できる源を持つこと。
 
これまでを否定することなどなく、輝きを基に素直に思考行動できる。
これが、私の作り上げたい「水の惑星の楽校」で育てたい人物像です。
 

 


この惑星の 7割が海であることも、私たち自らの身体の 7割が水でできていることも、その体液の成分と海水の成分の近似値の「由縁」のことも、そして、その水、体液の状態の大切さの事など、今の社会・世界はこの基礎となる海・水との関係の気づきと学びを持ち合わせていません。
 
私は、自らが時間をかけて歩んだ海・水との関係から得た感覚値、視点、そこからの思考に至る経緯、経験を元に、水の状態、質に立脚した人財育成、その方策をまとめあげました。
 
ここが理解できると、人は生き方が変わりだします。水を愛することと自らを愛することが同意であると知覚でき「軸」が育ち始めます。これらは、知識のことではなく、身体知のことです。
 
他の人の考えではなく自らの体が得ている情報を基にするものです。
人間社会の歴史で創り上げた価値や評価を手に入れ幸せになれると思考行動するのではなく。
生命の歴史で既に手に入れている自らの命が喜び輝く状態の知覚を基にする。
この命の情報を素直に手に入れるのに、海・水がいかに大きくかかわっているかを知ること。
 
自らを信じる、自らを愛するその基礎。今の常識に囚われない新たな世界を創り出す思考・哲学の原点となるものです。
 
この育成方法が、社会に、世界に、容易に手に入るようになるならば、この水の惑星の生き物にとっての楽園創造の土台になると確信に至ったのです。
水と自らに意識的に生きだすと、周りの水の質、自然も、他者も社会もその質の大切さに気づきだします。
 
そして、この水への知覚による理解は、あらゆる分断している人同士をつなぐ土台にもなります。
 
楽園は、楽園を知覚した人ならば作ることができる。これは私の持論です。
 
水の惑星に生きることの喜びを学んだ人々が、社会活動、創造活動をしていくと。
この水の惑星に生きる全ての生命が光り輝いてゆく。
この物語を一人でも多くの人々と共有してゆく =楽園
 

 


宗教なのか?と思われる方がいるでしょう。「ならば駄目だ !」と判断される前に知ってください。私のやりたいことは、宗教以前のことです。先の文章でも書きだしたように、私の考え、誰かが考えたことを押し付けて教育したいわけではないのです。
 
その人が、その人自身の中にある命の情報に気付いてもらうこと。母なる海で 水の惑星に生きていること。自らも水でできていること。それを生かす情報、身体が生きようとする情報に触れる。そして、身体が健やかな状態の情報をそれぞれがしっかりつかみ取り、生命はどうすれば健やかにいられるのかを知る術をアシストしたいのです。これが行いたいことのすべての中心です。
 
これがあらゆる問題を生み出し解決できないまま進む今の常識に代わり、変えてゆく思考行動の軸になると確信しています。 
私自身は、宗教以前、経済以前、科学以前、個人の価値観以前に必要なことだと考えてきました。 
例えば、なぜ宗教が否定される存在になるのか。なぜそうなるのか ?からそこに留まらず。その先に進む。
何かを否定し、非難しあう思考を解いてく創造の元を手に入れる。
そうすることで、それぞれがそれぞれの有様を進化させてゆく。
素直さ、かつ、おおらかさを手に入れるアシストだと思い描いています。

 


世界各地の異常気象が警告を発しているように、人類の活動が地球環境に多大で破壊的な影響を与えている。いえ、自分たちの存続に大きな影響を起こしています。この時代において、日本という地で営まれてきた人と自然との関係のあり方から、人類が学ぶものがあります。
 
例えば、都と紀伊山地の霊場を結ぶ熊野詣・古道のようなものを 1000年も続けています。その目的は、自然回帰・自然学習の必要性を社会として当時の運営者、知識人達が熟知していたという事だと認識します。自然と社会、自然と人間の関係において、忘れてはならないこと。自然の土台の上に人の営みがあること。しかもそれは、知識だけではなく、身体知として、人々が共有すること。それを王家から一般の庶民まで体験・体感を共有し、そこをベースに社会を共に創造し、社会を運営し続けることの大切さ。
このような意図・哲学があったのではないかと考えます。
 
今、この自然と共に暮らすという思考・哲学が根付くことの大切さを改めて社会として、世界として手に入れること。これまでの常識に頼っている場合ではない。素直に根本から見直す。そう判断する時ではないでしょうか。
 
そして、ここで大きな課題があります。それは、今、特に「自然」という表現を使われる時。その言葉が指している意味です。
 
私には、それがほとんどの場合、陸上の自然を中心に認識されていると見てきました。ここに、大きな盲点があり、逆に様々な現代社会が抱えた問題解決の糸口があると考えるのです。それが、「海」というこの惑星の 7割をしめる存在を「自然」としてクローズアップさせること。
それは、この海を無視して進もうとすること自体に限界が来ていると見つづけてきたからです。
 
実際、現代社会は海と私たちの関係をほぼ何も知ることなく、その海に陸上が生み出すあらゆる負荷を押し付ける営み、形式を創り上げているのです。自然回帰、原点回帰を大切にした 1000年前の時代とは比べものにならないほど、破壊力を手に入れた私たち現代社会・世界が、陸上だけでなく視野にいれなくてはならない大きな課題です。
 
そこで、原点海帰です。
海まで、思考・哲学の起点を戻すことで常識を洗いなおす。
素直に命と向き合い、生命の持つ情報を知覚する。 
それが、この水の惑星を生命にとっての楽園にすると確信します。
 

自然界は利他性に満ちている。生物は利己的では生存、継承はできない。=福岡伸一
人の体は7割が水というけれど分子レベルでは99%が水=ツェンコバ ルミアナ

 


私が構想してきたものに、樂園学というものがあります。
「未来の社会が楽園になっているとするならば、その世界を作り上げるための知の世界が存在したはずだ」との夢から始まり。ご縁のあった、京都芸術大学の常任理事でご自身が「人にやさしい空間デザイン」で教鞭をとられていた大野木啓人先生に長年相談に乗っていただき、谷崎テトラさん、西村裕也さんの参加で立ち上げることができ稼働している「樂園学会」。

 
上の言葉は この学会にご参加いただいている「動的平衝」の提唱で大阪万博のメインパビリオン動的平衝館のプロデュースもされてる福岡先生の言葉。神戸大学で長年水の研究に従事されてきて「アクアフォトミクス」という独自の水の解析方法で世界に向けて学会活動もされているツェンコバ先生の言葉です。
福岡先生は次の言葉も使われています
自然は無限のデザインリソースである
 
これらが指し示すのは、水の惑星に生きることに気づき、学ぶことの大切さにつながっています。

 


必要なのは、創造する人、創造できる人を一人でも多く育てることです。
望む世界を創造するのは、望むことを沢山経験している人が創造すること。
当たり前にこれはとても重要なことです。
楽園は楽園を知覚した人ならば必ず再現できる。創造できます。
 
これまでの価値、仕組み、進め方、常識にとらわれることなく、
海との関係から知覚する情報、心地よい感じよいが思考行動の源として軸になり育つこと。
 
水の惑星の生命という共通の価値に根ざし、それぞれのその立場の高い、低い、狭い、広い、大きい、小さいに関係なく、それぞれの生きる領域、影響する領域の見直しをする。
私のように 100%全力の人もいれば、 1%5%10%からでもやれることから見直を始める人まで、具体的に創造へと活動ができる人を育てる。このような源に気づき学び、軸を身に付ける。
今の社会にないものです。だから生み出す必要があります。

個人の思いから 組織化へ 
 
 


椚座 信が 33年前 「この世界を楽園にしたい」という思いからはじまり、どうすれば具体化されるのかの模索から気が付いた「海に立ち返る」というアプローチ。この有用性の検証を積み重ねてきました。これを個人の領域を超えて社会に知ってもらい広げてゆけるように、「水の惑星の楽校」という形式にし、事業として起こしてゆくため 先ず「株式会社 楽」を 20227月に設立。
ようやく本部の設置や 展開すべき事柄、初期の規模、初期にかかわっていただく人々のつながりなどが準備できてきました。
ここからは水の惑星の楽校 設立稼働に向けて やらんとすることを知っていただき体験していただきご納得いただいて応援していただく活動を始めます。
これまでも長い道のりでしたが、これからも長い長い道のりです。
 
目指すのは自らを愛する人を育てる  
様々な経済分野や、社会活動家、様々な人材育成など資質向上にかかわるあらゆるところで私たちの「水の惑星の楽校」事業がつながり根付き、社会全体の根幹となれることです。

一人でも多くの方々に私たちの想いが届き、
この事業活動を知って、ご参画いただけることを願って止みません。
知らずに創造は生まれません。